19卒の就活生が思う、20卒、もっと先の子達に伝えること
伝えたいことはひとつ。
就活とは、自分の考え=武器を持ち、
伝えることができるようになるまでの訓練である。
訓練なんてしたくない?
しなくてもいいけど、死ぬよ。
なんでかって?インターネットで世界と繋がったからだよ。
僕たちは、日本国の義務教育を受けて育った。
お掛けで意見を形にしなくてもいい人生を送れてきた。
でもインターネットが現れた。社会が世界と繋がった。世界規模で変化の早い時代になった。
20年前はインターネットWindows95によって、
日本国民の一般層にも広がった。
10年前、スマートフォンが生まれた。
みんな大好きリンゴ。
SNSのビックバンを加速させた。
LINE、WeChat、Uber、Twitter、Instagram、
TikTok、ツイキャス、YouTube、Amazon、Netflix。
どれも使わないで生きている人は居ない。
僕らは今、スマートフォンに、インターネットに
依存する生活を送っている。
「超優秀な人間にとっては最高の時代だ。しかし平凡な人間にとっては最悪である」。出たばかりの書籍『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』は今読んでますが、非常に面白いです。/日本人は「GAFAの恐ろしさ」を知らなすぎる https://t.co/clC8aZ7rtx pic.twitter.com/txfaRAd7Ul
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2018年7月27日
ほら、世界が…正確に言えば、GAFA
(Google,Apple.Facebook,Amazon)アメリカが
日本を飲み込んでいる。
もう日本国内で、意見を言わなくてもなぁなぁで
済む時代、社会じゃなくなった。
意見を、考えを、武器をもつ外国の人々が競争、
取引相手、仲間になった。
だからこそ、自分の考えを言えないと、
自分はそこに、いないも同然なんだ。
まぁ自分の考えを形にするのは大変だけどね。
じゃ意見って何よ?
「何となくそう思った」は、意見じゃなくて、印象。
「なんでそう思ったの」を掘り下げて、
根拠に、事実にたどり着かなくてはならない。
これがいわゆる、深掘りなのだけれど、
まぁ苦しい。慣れていないからね。
就活するまでの人生の大半を占める義務教育では、
正解に辿り着くことが求められたし、正解すること
=テストで100点。それが誉められた。
一種の洗脳教育だね。だって、それが「当たり前」
とやらになるんだから。
だから、教科書にある答えを暗記することばかりに集中する。ご褒美として、いい点数をもらえるから。
間違えて恥をかきたくないから。自分の考えじゃなくて、みんなが正しいと思うことを言うだけ。
そこに自分の心、考え、意見はない。
AIや機械に仕事が代替される!
なんて言われているけれど、すでに僕たち、義務教育を受けた人たちはみんな、同じ意見を、正解を言う機械になっている。
もしも、勇気を振り絞って、「それは違う」と、
クラスで自分の意見を言うと、「なにそれ」と
叩かれたり、「うわ、何か言ってる」と
揚げ足とられたり、「みんなが、みんなが」
同調圧力に屈して何もできなかったり。
「余計なこと言いやがって」
邪魔なやつだとレッテルを貼られたり。
もちろん、数学や理科など、正解が一つしかないものならば、この、正解を答え、覚えさせる義務教育は
大いに正しい。
数字や科学にとって、真実はいつもひとつだからね。
しかし、国語や道徳の授業ではどうだ?
なぜ作者の考えを答えなくてはならないのだ?
なぜいじめは悪いことだと、いちいち書かせなくてはならないのだ?
自分の価値観や考えは学校で教えられるものではなく、自分で学ぶものではないのか?
教えられた価値観を、何も考えず、感じず、
感じても、「先生や教科書がそう言っているし」と、
思ったことをゴミ箱に捨てて、
無理矢理自分の価値観にしていないか?
意見を考えることを、発信することを
義務教育で放棄されている。無意識の洗脳。
教科書が全て。教科書信仰である。
義務教育教の聖書は言う。
「我々の教える正解こそ、正しい。日本国民は
だからこそ、正解を言う=内定もらえるという思考回路になる。
なんて素晴らしいのでしょう。これこそ、
義務教育の賜物。日本国の教育はすげぇや。
おかげで大して意味もない就活本が売れる売れる。
みーんなほぼ同んなじことが、量産されて書かれているだけなのに。
「よっしゃ!正解を暗記したで!これで内定や!」
まぁそれで落ちるんですけどね。
たしかに基礎を固める、そういう意味では
就活本の自己PR丸暗記はいいと思う。
でもそれって、あなたの意見、PRではないですよね?
参考書は答えじゃなくて、自分なりの意見を言うための道具。
道具を使って自分の武器=意見にしなくちゃ。
みんな同じ装備(就活参考書)じゃ勝てないよ。
義務教育やセンター試験と違って、丸暗記したことを
答えても内定はでない。
だからこそ、初対面の、社会人に。
自分のことを何も知らない社会人に、
「自分とは何者か、何が出来て、何をしてきたか、どんな未来を描いているか」
整理して分かりやすく、懇切丁寧に伝えるのが就活。
君のことは参考書には書いていないんだよ。
参考書は神じゃない。道具だ。
君なりの意見を作るための、道具だ。
参考書をそのまま使ってもペラペラだ。
ペラペラに書いてあることをただ暗記するのではなく「なぜこう書いてあるのだろう」
「自分に当てはめるとどう言い直せるか」
「言い直したときの根拠はなんだろう」
考え=意見+根拠。
義務教育が始まったのは昭和。
勝手に経済が成長した昭和において、この教育方法は、ものすごく良かった。誰も意見を言う必要もなかったし、ただ与えられたことをこなす、正解をすることが正義だった。
でも僕たちが生きるのは平成なんだ。
その平成も終わる。
インターネットのない頃の、
義務教育洗脳から解放されるための就活。
インターネットによって、世界はものすごく近くなった。今、すでに僕たちの競争相手は、日本国内ではなくて、世界相手なんだ。
意見を言えないものはいないも同然という、
修羅の世界に僕らは生きている。
望まないのに世界大会に出ている僕ら。
自分の意見と言う武器を身に付けないと、死ぬよ。
少なくとも、未だに正解を答えさせる企業はなくなるから、早めに自分の武器を持って使えるようになろうね。
慣れないことだけど、頑張って。